2011年4月24日日曜日

【地震】日本の大震災のアメリカ人の反応 Part.2


SDJENのメンバーの黒田信貴さんのヨットも改造チャリティーセーリングを開催中

2011421日放送分】


現在、カリフォルニア州サンディエゴでは、あちらこちらで募金活動やチャリティーイベント(コンサート、バザー、ストリートフェアー、映画祭など)が開催されています。個人から団体までありとあらゆる人々が大小の規模を問わず、日本のために慈善活動を行っています。

たとえば、一つをご紹介するとSDJEN-エスディージェーンSan Diego Japan Emergency Network)と呼ばれるネットワークがこれを機に発起人の大渡浩平さんがメインとなり誕生しました。
他のボランティアグループとSDJENが協力して開催したチャリティーバザーのチラシ

321日に第1回目のミーティングが開かれ、100名近い方がみえました。「私たちが日本のために今何ができるのか?」など話し合われたそうです。
現在、在米日本人がメインで約200名のメンバーがおり、SDJEN以外のグループが企画したイベントにも協賛や応援隊として協力する形をとっています。

SDJENではボランティア用にこのTシャツを作りました。
一番上の写真がTシャツの後ろにデザインした絵柄です。
このかわいいイラストはプロのイラストレ-タ-作です。


他のボランティア活動で目を引いたのはSony U.S.A.の本間 毅さんが立ち上げたMusic For Japanのイベントです。
SDJENのメンバーも協力し米国時間416日午後4時半より2時間、Sony Electronics本社ビルの
イベントスペースで行われました。音楽を通してアメリカにいる人々のハートを日本の人々に届ける、また災害復旧のための寄付を集めるということが目的でした。結果880人の観客を動員、寄付金は一夜にして総額で35700ドル(約293万円)となりました。このお金はJapan Socitetyを通じて寄付されるそうです。詳しくはMusic For Japanの公式サイトをご覧ください。


Music for JapanのボランティアメンバーとTVニュースアンカーマンの
ルービン・ガルバンさんと。


ところで「三東ルシアのぶっちゃけトーク」がUSTREAMを使用してリアルタイムでインターネット放送しているのをご存知でしたか?この同じUSTREAMを使用しMusic For Japanコンサートの模様をリアルタイムで配信しました。お聞きしたところ現在、Music For Japanコンサートのアーカイブを作製中で、近日中に公開予定らしいです。地元サンディエゴのTV局の取材も受け大成功したこのイベント、在米日本人のみなさんの結束力をさらに固めた感がありました。

その他のグループではこんな人たちも頑張っていました。サンディエゴはサーファーのメッカ、サーファーたちも立ち上がりました。大学やサーフィンショップなどで募金活動やイベントを行っているようです。


                   Tomoe(友へ) Projectの活動より


その他、チャリティーのための活動が多すぎてここに書ききれません。(^_^;)
日本人が多く住むカリフォルニア州では特に日本への義援金活動を活発に行うのは当たりまえのようになった気がする今日この頃です。さて、それでは日本人があまり住んでいないような他州ではどうだったのか?
友人が中西部(南部)に住むアメリカ人に聞いたところこのような報告がありました。

テネシー州のおとなりのノースカロライナ州は、カリフォルニアほど日本人は多くない地域でのおはなしです。

街頭やお店の前に立って募金活動などということは見なかったですが地元などのミュージシャンがコンサートを開いて寄付を募ったりしていたようです。

またレストランなどでお客さんが食べた金額以上をレストランに支払うことにより、それを寄付金にしてくれるレストランもあったとか…。日本人の多く住むカリフォルニアやニューヨーク、ハワイからしてみると支援活動は少ないと思いますが全米で考えると寄付などは結構アメリカ人もしていると思います。ただ、日本という国は”豊かな国だ”という認識が皆さんにあるため寄付金の額は2010年1月に起きたハイチ地震の時に比べると少ない額だと思います…とのことでした。

私たちアメリカに住んでいる日本人にとって、今回の日本の災害は胸が張り裂けんばかりの思いで心配しておりました。ただただ、1日も早い復興を願うばかりです。それと同時に日本人で本当に良かったという思いも強くわきあがりました。理由はこのブログのPart1でふれているので、お分かりになると思います。

今では日本人としての誇りを感じています。私の周りの日本人もみな同じようなことを言っています。
そして日本人コミュニティーの絆を感じました。それはこの不幸の中から見出せた希望でした。